トキソプラズマ症は,トキソプラズマ(Toxoplasma gondii)が動物の体内組織に入り,そこで増殖するために引き起こされる病気です。妊婦さんが初めて感染すると,その妊婦さんの胎児も感染してしまい,その結果,流産や死産を起こしたり,障害を持つ子供が生まれるなど,重い経過を辿ることがあります。また,何らかの原因によって免疫機能の落ちている人(例えば,HIV発症者や免疫抑制剤で治療中の患者)の間でも問題となっています。トキソプラズマ症は非常に危険な病気の一つですが,トキソプラズマのことをしっかりと理解することで,感染を予防することができる病気でもあります。
トキソプラズマってどんな生き物なの?
トキソプラズマは,小学生時代に理科の時間で扱ったゾウリムシなどと同じく,単細胞の生物です。トキソプラズマ自体は非常に小さく,目で見ることはできません。この小さな生物が動物の体内に入ると,肝臓や脳などいろいろな臓器で増殖し,その結果,これらの臓器が正しく働けなくなってしまいます。
トキソプラズマの生活では,猫が重要な役割を果たします(図)。というのは,猫だけが(厳密にはライオンなどネコ科の動物も含まれます),オーシストと呼ばれるトキソプラズマの卵のようなものを出すからです。このオーシストを食べるとほとんどの動物が感染してしまいます。図に示したように,ネズミ,豚,人などもこのオーシストを食べると感染するわけです。
人を含めて猫以外の動物がオーシストを食べると,まずトキソプラズマは体内に入って全身に広がり増殖します。その後,筋肉や脳などにシストと呼ばれる袋を作ります。シストの中には分裂したトキソプラズマがたくさん詰まっています。通常は,動物が得た免疫によってシストは筋肉や脳でじっとしていますが,動物の免疫機能に異常が出ると,シストからトキソプラズマが出てきて再び全身で増殖するために,HIV発症者や免疫治療をしている患者さんたちでは問題となるのです。
人はオーシストを食べること以外にも感染することがあります。ある動物の筋肉や脳にできたシストを,ほかの動物が食べるとその動物が感染してしまいます。図に一つの例を示しましたが,トキソプラズマに感染した豚肉を人が食べると感染します。実は人の感染の多くはトキソプラズマに感染した動物の肉を食べるためだと考えられています。
最後に,最も重要な猫の感染について説明します。図に示したように,猫も,大きく2通りの方法,すなわち,1)オーシストを食べる,あるいは,2)トキソプラズマに感染している動物(特にネズミや餌として与える生肉)を食べる,ことによって感染します。したがって他の動物と同じようにトキソプラズマは全身に広がりシストを作りますが,猫の場合,その後,シスト内からトキソプラズマが出て小腸に集まってきます。トキソプラズマはここで発育・増殖してオーシストを作るのです。ただし,シストを持った動物を食べた時には,大部分のトキソプラズマは全身には広がらず,直接小腸に行ってオーシストを作ります。
猫が感染しているとどんな症状が出るの?
健康な成猫はトキソプラズマに感染してもほとんど症状は示しません。子猫が感染すると,食欲や元気がなくなったり,熱が出たりします。重いものでは,肺炎,嘔吐,下痢を起こし,腹水がたまる,黄疸がでるなどの症状がみられます。呼吸困難で死亡するものや,粘液の混じった血便を出すものもいます。ただし,症状だけからトキソプラズマに感染しているかどうかを判断することはできないので,獣医さんに検査してもらう必要があります。
人が感染するとどうなるの?
健康な人が感染してもほとんど症状は現れません。トキソプラズマの感染が問題となるのは,1)妊婦さんが初めて感染した場合,および2)免疫機能の低下した人での感染です。
トキソプラズマの感染では,免疫が重要な役割を果たします。健康な人が感染した場合,トキソプラズマは一度全身で広がりますが,すぐに免疫がつき,トキソプラズマの活動は抑えられます。一度トキソプラズマに感染すると,体には免疫がついているため,再びトキソプラズマに感染しても問題にはなりません。ところが,病気や治療により免疫機能が低下した人では,トキソプラズマに対する免疫がつかないため(あるいは弱まるため),リンパ節炎や脳炎など重い経過をたどってしまいます。
ここで,妊婦さんが感染した場合を考えてみましょう。大きく2通りに分けて考える必要があります。まず,1)妊娠前にすでに妊婦さんが感染していた場合です。この場合,妊婦さんにはすでに免役がついています。したがって,妊娠中に新しくトキソプラズマに感染しても,妊婦さんの免役によりトキソプラズマはやっつけられるので,胎児に感染することはありません。問題となるのは,2)妊婦さんが妊娠中に初めて感染した場合です。この場合,まずトキソプラズマは妊婦さんの全身に広がります。この時,胎児にも感染してしまいます。その後,妊婦さんには免疫がつき,妊婦さんの体の中ではトキソプラズマは活動できなくなってしまいます。しかし,胎児は免疫をつけることができません。したがって,胎児に入ったトキソプラズマは活動を続け,胎児に障害を与えるのです。
妊娠して産婦人科へ行くと,トキソプラズマの検査を受けます。この検査で,トキソプラズマに感染しているのかどうかがわかります。さらに,妊娠前に感染していたのか,あるいは,妊娠中に感染したのか,もある程度わかります。感染していない(検査陰性)と診断された人は,妊娠中に感染しないように注意する必要があります(”トキソプラズマにかからないように”参照)。猫を飼っている方は猫がオーシストを出しているのかどうかを獣医さんに検査してもらう必要があるでしょう。また,妊娠中に感染したとしても必ずしも胎児に影響が出るとは限らないので,妊娠中に感染した疑いがあると診断された場合は,担当のお医者さんとよく相談してください。
トキソプラズマにかからないようにするために
トキソプラズマは猫から感染する場合と食べ物から感染する場合があります。トキソプラズマにかからないようにするには,以下の点に注意してください。
1)飼い猫の感染を防ぐ
飼い猫の感染を防ぐためには,1)生肉を与えない,および,2)ネズミを捕らないようにしつけることが大事です。最近ではネズミを捕らない猫も多くなっているようですが,ネズミを捕るのは猫の習性なので,捕らないようにしつけるのは難しい場合も多いでしょう。そのような場合には猫の糞便を速やかに処分することで猫から人への感染を防ぐことができます。猫の糞便に出てきたオーシストは24時間たたないと人へ感染することができません。したがって,24時間以内に猫の糞便をビニール袋などに密閉して処分すると安全です。トイレのしつけができていれば容易に行えます。
もし飼い猫がオーシストを出していた場合,そのオーシストにより他の猫も感染してしまいます。子猫が生まれた場合や新しい猫を加える場合などはとくに注意が必要で,獣医さんに相談して母猫や新しく加える猫の検査をしてもらいましょう。
オーシストは人や猫へ感染する危険なものですが,トキソプラズマに感染した猫はずっとオーシストを出しているわけではなく,オーシストを出す期間は1週間から10日間と短いことがわかっています。したがって,オーシストにより感染する機会は少ないと考えられ,人の感染においては次の食べ物からの感染が重要と考えられます。
2)食べ物からの感染を防ぐ
食べ物からの感染では,生肉,とくに日本では豚肉が重要です。外国では,ヤギやヒツジによる感染が問題となっている地域もあります。海外旅行に行ったときには注意が必要です。
食べ物から感染するのは,生肉に含まれるシストを食べるためです。シストは熱に弱いため,肉を十分に調理することで食べ物からの感染を防ぐことができます。したがって,とくに妊婦さんは調理不十分な肉料理を食べないように注意しましょう。